「勤勞感謝の日」に寄せて

メルマガにも書いたのですが、こちらにも轉記(少し加筆)しておきます。



「勤勞感謝の日」は、戰前の「新嘗祭」の日附をその儘に、名前と趣旨を變へたものです。祝日法では勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう日となつてゐます。

ではその新嘗祭はなぜ11月23日なのか。1872(明治5)年まで、新嘗祭は舊暦11月の2囘目の卯の日に行はれてゐました。1873(明治6)年1月1日(舊暦明治5年12月3日)から新暦(太陽暦)が導入され、新嘗祭の日取を舊暦で定めるのはまづいと云ふことになりました(明治6年紀元節を舊暦1月1日(新暦1月29日)に行つてしまひ、國民が「舊暦こそが正しい暦だ」と思ふやうになつてしまつた、と云ふことがあつた爲)。さうでなくても、新暦で「舊暦11月の2囘目の卯の日」の日附を求めると、翌年1月になつてしまふことがあり、それでは都合が惡いと云ふこともあります。と云ふことで、「舊暦11月の2囘目の卯の日」だつたのを「新暦11月の2囘目の卯の日」と云ふことにしてしまひ、それが明治6年では11月23日でした。ところが翌明治7年には、「新暦11月の2囘目の卯の日」ではなく、前年と同じ11月23日に行はれ、それが今まで續いてゐると云ふことです。なほ、明治7年11月23日はの日。新暦11月2囘目の卯の日は11月18日、舊暦11月では12月24日(舊暦11月16日)でした。因みに今年の場合、新暦11月の2囘目は11月19日、舊暦11月の2囘目は12月25日(舊暦11月22日)となります。

舊暦11月だつたのを新暦11月にした時點で既に日附の根據がなくなつてゐるのに、さらに明治6年での日附をその儘使ひ續けてゐるとは、何をか言はんやです。「ハッピーマンデー」とやらで祝日の日附を移動させるのなら、まづかう云ふ日附の根據の薄い物から始めるべきでせう。「勤勞感謝の日」なのですから、これこそ三連休にするのに相應しいのでは。

しかも今年の「勤勞感謝の日」は土曜日だし。そんなに三連休を増やしたいのなら、「國民の祝日が土曜日になつた場合の振替休日」と云ふのも檢討されてみてはいかがでせうか、先生方。