乘車記録

新名古屋08:30→(名鉄本線,犬山線[特急289])→08:55犬山遊園

名鐵の特急は基本的には運賃だけで乘れるのですが、「特別席」に坐る場合は「ミューチケット」なる座席指定劵(300圓)を購入する必要があります。が、これから乘らうとする名鐵特急289號は全車特別席です。で、ミューチケットを買はうとしたのですが、出發列車案内板の特急289號の所には「西春停車」と書かれてゐる。「げげ、犬山遊園には停まらないのか」と思つて新鵜沼までの乘車劵とミューチケットを購入したのですが、車内放送に據れば、「通常の特急停車驛の外に西春にも停車する」と云ふ意味だつたらしい。さう云ふ、他所者には判らない表示は止めて戴きたいものです。と、プリプリしながら犬山遊園で下車したのでした。

犬山遊園09:05→(モンキーパークモノレール)→09:09動物園09:27→(モンキーパークモノレール)→09:30犬山遊園

犬山遊園驛で動物園驛までの往復の切符を購入。動物園行の乘客は私1人。他に、動物園驛の驛員と思はれる人達が3人乘つてゐました。車内放送ではモンキーパークの宣傳。今行はれてゐるイヴェントの案内が織込まれてをり、時期によつて放送を變へてゐるやうです。

動物園驛に到着。改札で「ゆき」の切符を渡して驛の外に出ようとすると、驛員さんに呼び止められました。

驛員
入場劵は御持ちですか?
富山
へ?
驛員
改札を出るとモンキーパークに入場と云ふことになるんですよ。
富山
(心の聲:そんなこと聽いてないよー。)え、えつと、この儘引返す積りだつたんですけど……。
驛員
それぢやあ、今來た列車が19分に出ますので、それに御乘り下さい。

驛員氏にうろたへる樣子が全く見られなかつたのは、かう云ふ「鐵」な客が(私の外にも)時々ゐるからなのでせう。それにしても、改札から一歩も出ることが出來ないとは(私は半歩だけ外に出ましたが)、鶴見線海芝浦驛より非道い。海芝浦は歸りの切符を買ふ爲に、改札の外にある劵賣機までは行くことが出來ます。

驛の中や列車を撮影してゐる内に19分の列車は出てしまつたのですが、次に來た列車は「正規の目的で來た(「鐵」でない)」御客を乘せてゐました。それをホームで出迎へる私はちよつと恥しかつた。歸りの乘客はまたしても私1人でした。その所爲か、途中の成田山驛はドアも開けずに通過。

犬山遊園09:46→(名鉄犬山線[急行])→09:47新鵜沼

鵜沼10:07→(高山本線715D)→10:18美濃太田

美濃太田10:42→(太多線622C)→11:10多治見

太多線は初乘車なのですが、途中から夢路の旅に。まあ、(太多線には申し譯ありませんが)見所の少い地味な線區ではあります。數少い見所である今渡ダムを渡る橋はちやんと見ました。「姫」驛は見逃してしまつた……。

多治見11:16→(中央西線5718M[快速])→11:25高蔵寺

高蔵寺11:33→(愛知環状鉄道1114)→12:36岡崎

愛知環状鉄道国鉄岡多線(東海道本線岡崎〜新豊田中央本線多治見)及び瀬戸線(岡多線瀬戸〜中央本線高蔵寺東海道本線稲沢。名鉄瀬戸線とは別)として企劃された路線で、岡崎〜新豊田国鉄時代に開業してゐました。が、例によつて「国鉄改革法」により建設が凍結され、それを第三セクター愛知環状鉄道が引繼いで開業させたのがこの路線です。昨日通つた伊勢鉄道同樣、鐵建公團好みの「單線乍らも豪華な造り」になつてゐます。高蔵寺を出て暫くは長いトンネルが續きます。それ以外の區間でも、ほぼ全線に亙つて高架か(異樣に高い)盛土になつてゐます。

岡崎12:47→(東海道本線5224F[新快速])→13:38浜松

岡崎からは13:03發の5314Fに乘つて浜松に13:24に到着し、新浜松13:36發の遠州鉄道に乘る豫定でした。しかし、岡崎驛では辨當を買ふことと御手洗を済ませることだけに注意が向いてゐた爲、豫定表を確認せずに、そこに停つてゐた浜松行の快速列車に飛び乘つたのでした。(時刻表を見ながらこの文章を讀んでゐる方、この邊で「何かをかしい」と思はれてゐると思ひますが、後の方で種明しします)

車内で、先程買つた辨當を掻込み、その後は、東海道本線は既に乘つた區間と云ふことで、眠り込んでしまひました。起きたのは浜松の2驛くらゐ前。「さて、遠鉄に乘らねば」と時計を見ると、既に13:36を過ぎてゐます。列車が遲れたと云ふ譯でもなささう。何が起きたのか判らない儘、とりあへず新浜松驛へ急ぐことにしました。

浜松→(徒歩)→新浜松

浜松驛の構内で「←遠州鉄道」と云ふ表示を見附けたのですが、左手にあるのはJR浜松驛の驛ビルの入口。驛舎を出てみると、左手に「遠鉄百貨店」なる建物があつたので、この中に新浜松驛の入口があるのだらうと考へて、百貨店の人込の中を急ぎました。が、確かに遠鉄百貨店の中にも驛聯絡口はあるのですが、新浜松驛獨自の入口もちやんとあるのでした。

新浜松13:48→(遠州鉄道)→14:20西鹿島14:24→(遠州鉄道)→14:56新浜松

自動劵賣機で切符を買ひ、驛員さんに鋏を入れて貰つて車内へ。ここで先程の謎解きをすることにしました。時刻表を見ると、13:24着の後に13:37着と云ふのがあり、どうやらそれに乘つてしまつたらしい(時刻表を片手に讀んでゐる方、「おい、違ふぞ」と云ふメールを出すのはまう少し待つて下さい)。それではこの先の日程をどうするか。この列車で西鹿島まで行つてすぐに引返すと14:57頃に新浜松に着き、乘換時間8分で、豫定してゐた5483Mに乘れると云ふことが判りました。これで一安心。後は遠州鉄道を樂しむことにしませう。

途中「小松」驛を發見。やつぱり同じ姓の驛名は氣になります。石川縣小松市を通る時もドキドキしてしまふくらゐですし。ただ、どうやら正式には「遠州小松」のやうです。遠鉄の殆どの驛の名前には「遠州」が附いてゐるのですが(他線の驛との重複囘避の爲)、駅名標・車内放送等では(「遠州病院前」を除いて)「遠州」が省略されてゐます。

新浜松→(徒歩)→浜松

浜松15:05→(東海道本線5483M)→15:29新所原

新所原15:32→(天竜浜名湖鉄道138)→17:42掛川

新所原驛では乘換時間3分。階段を驅け登り、驅け下り、驛員さんに「18きっぷ」を見せてJRの驛舎を出、すぐ隣にある天竜浜名湖鉄道の驛舎で終點掛川までの切符を買ひました。驛舎内は何やら良い匂ひ。そんなに廣くない驛内に鰻屋さんが入つてゐて、そこで鰻を燒いてゐるのでした。時間があれば買ひたい所でしたが。私は一旦改札を出たのですが、改札内でホームは繋つてをり、そこに立つてゐる驛員さん(JR委託かも)からも切符を買ふことが出來たのでした。

天竜浜名湖鉄道は元国鉄二俣線で、「国鉄改革法」に基づいて廢止對象となり、1987年に沿線自治體の出資による第三セクター會社に轉換されました。

新所原を出た邊りでは、坐る所がなく、運轉席横の「かぶり附き」に立つてゐたのですが、段々と人が降りて行つて、濱名湖を通り過ぎる前には何とかボックス席に納まることが出來ました。この路線、途中までは濱名湖の北岸に沿ふやうに進み、東海道本線よりも長く濱名湖を眺めることが出來ます。

途中の「フルーツパーク」驛で御子樣方が大擧して乘り込んで來て、車内が賑かになりました。天竜二俣驛で對向列車待ちの爲に9分停車。運轉手さんが「トイレを利用される方はこの驛でどうぞ」と放送して下さいました。御言葉に甘えて驛の改札外にある御手洗へ。さう云へば岡崎から用を足してゐなかつたなあ。けふの旅は動き放しです。

掛川に近附いて來た邊りから、段々暗くなつて來ました。掛川では、またしても乘換時間3分。これは態とかうしてゐるのでせうね。JR驛の列車の到着時刻に合はせてダイヤを組んでゐるのでせう。

掛川17:45→(東海道本線796M)→18:29静岡

豫定では、掛川からどこにも寄らずに歸る積りだつたのですが、氣が變つて静岡鉄道にも乘つてみることにしました。

静岡→(徒歩)→新静岡

驛前にあつた地圖に據れば、新静岡驛までは少々歩くやうです。地下街に入つて、表示の通りに進んで地上に出ると、向ふに見える大きな建物が新静岡驛。普通に歩けば徒歩7分と云ふ所です。新静岡驛のホーム自體は地上にあるのですが、出入口は地下、それもショッピングセンターの片隅にあります。

新静岡→(静岡鉄道)→新清水

新静岡驛は自動改札。新静岡驛に限らず全ての驛がかうなつてゐるらしい。「バザールカード」と云ふストアードフェアカードが使へるやうになつてゐます。地方民鐵では初らしい。

もう暗くなつてゐて外の樣子は殆ど判りません。途中で東海道本線と新幹線を乘越す爲に高い高架を通ります。

新清水→(しずてつジャストラインバス)→清水駅

清水20:05→(東海道本線1958M)→20:46沼津21:10→(東海道本線476M)→21:27熱海21:39→(東海道本線932M)→23:07川崎23:08→(南武線)→南武線某驛

歸りの列車の中で、けふの日程を時刻表で追つてみました。さうした所、私が浜松行だと思つてゐた快速5314F、新快速5226Fは、實は豊橋行であつたことに氣が附きました。でも私は13:38に確實に浜松にゐた。と云ふことは、5314Fの1本前の新快速5224F(岡崎12:47發)に乘つてゐたと云ふことになります。もし岡崎で豫定表通りに5314F(13:03發)に乘らうとしてゐたら、豊橋で(或は岡崎驛の改札前で)茫然とすることになつてゐたでせう。豫定表を確認せずに乘つてしまつたことが、逆に良い方に働いたのでした。八戸に續いて、またしても「乘潰しの神樣」に救はれました。

いや、私が豊橋着を浜松着だと思ひ込んで豫定を立て間違へたことも、實は乘潰しの神樣が仕組んだことだつたりして。私は神樣の掌の上で踊らされてゐるだけなかも知れません。