表音假名遣




第二に,昨年のあき文部省の發表した當用漢字と現代かなづ
かいとを,わたしわこの本で採用した.漢字制限の方面でわ,
多少不便を感じながらも,極限のワクをはずさないよ〜に努
めた.たゞし引用文わ除外した.かなづかいについてわ,文部
省案わ不徹底であり,かえって不便なので,發音式をいっそ〜擴
大して,テニヲハの「は」と「へ」を,それぞれ「わ」と「え」
とし(「を」のみわ,ワカチガキ式をとらぬかぎり,當分そのま
まにしておく方が便利なので,「お」とわ改めない),長音わ記
號「〜」をもって現わすことにした.

(小林英夫著『言語學通論 改定第三版』1947年、三省堂より)

これで讀み易いと思つたのかね。

不便とか便利とかと云ふ言葉が使はれてゐますが、これは書き手にとつての事であつて、讀み手の事は考へてゐないのではないでせうか。書き手の不便便利の爲に表記を變へようと云ふのは、書き手の怠慢ではないのか。ある文章が書かれるのは一囘きり、書き直しを含めても数囘だけですが、讀まれる囘數はその何倍もあります。ならば、書き手の都合よりも先に讀み手の都合の方が優先されるべきです。

なに お いって いる ん だ。ひょ〜おん てき に した ほ〜 が よみ やすい じゃ ない かと言ふ方、本當に讀み易いですか?讀み易いと思ひ込んでゐる、或は思ひ込まうとしてゐるだけぢやないですか。

なほ、「讀む」と云ふ言葉には、書かれている文字の音を声に出す。と云ふ意味の外に、文字や図などを見て、そこにかかれていることを理解する。と云ふ意味もあります。表音主義の「よみやすい」とは、後者ではなく前者の方でせう。