乘車記録

南武線某驛→(南武線401F)→4:54府中本町

府中本町5:01→(武蔵野線573E)→6:01新松戸

新松戸6:08→(常磐線各停569S)→6:21我孫子

我孫子6:30→(成田線[我孫子支線]825M)→7:14成田

成田7:28→(成田線427M)→8:06香取

香取8:20→(鹿島線527M)→8:37鹿島神宮

十二橋潮来の北利根川を渡つた所で千葉縣完乘を達成しました。成田線分岐點から鹿島神宮まで、ほぼ全線が高架になつてゐます。

鹿島神宮8:46→(鹿島臨海鉄道大洗鹿島線132D)→10:08水戸

鹿島臨海鉄道大洗鹿島線」と書きましたが、鹿島神宮鹿島サッカースタジアムJR東日本鹿島線です。が、鹿島サッカースタジアムはサッカー開催日しか營業してゐませんし、兩線とも鹿島神宮まで運轉してゐます。鹿島サッカースタジアム驛を通過した時點で、關東のJR全線に乘つたことになりますが、餘り感慨はないかも。

大洗鹿島線は非常に豪華な造りになつてゐます。とにかく眞直に平らに敷く。殆どの區間が高架橋かトンネルになつてゐます。にしても、田圃眞中鐵道を通すのに、高架にする必要はあるのでせうか。

大洗鹿島線は元々国鉄鹿島線の延伸線として企劃された路線でした。国鉄再建法によつて各地の新線建設が中止された後でも、開業後の輸送密度が(赤字ローカル線廢止の基準とされた)4000人を上廻る見込みがあつた鹿島新線(と、予賛線の短絡線となる内子線)は建設が續行されました。で、国鉄新線の建設は鉄建公団が行つたのですが、鉄建公団と云ふ所はかう云ふ「豪華な造り」にするのが好きなやうです。こなひだ乘つた阿武隈急行(舊国鉄丸森線)もこんな感じでした。

水戸10:25→(常磐線1339M)→10:31勝田

勝田10:36→(茨城交通湊線)→11:02阿字ヶ浦

湊線のホームはJRの2番線ホームの隣にあり、これが1番線となつてゐます。勝田を出た所ではそこそこ乘客がゐたのですが、終點阿字ヶ浦で降りたのは私1人でした。

阿字ヶ浦11:19→(茨城交通湊線)→11:46勝田

勝田11:49→(常磐線)→11:54水戸

水戸12:08→(鹿島臨海鉄道)→12:46新鉾田

新鉾田12:46→(徒歩)→13:06鉾田

鉾田13:26→(鹿島鉄道24)→14:18石岡

鉾田驛で「たい燒」を購入。わざわざ鹿島鉄道のサイト鉾田駅のたいやきが大好評です。なんて書いてゐるくらゐだから、よつぽど美味しいのだらうと思つてゐたら、これが美味しかつた。頭の天邊から尻尾の先まで餡が詰つてゐます。是非とも御試しあれ。

鉾田の傳言板に「{イ専}言板」と書かれてゐるのを發見。どう見ても「当用漢字」の後に作られた物のやうなのですが。

とにかく縱揺れが非道い。レールの繼目を通る度に體が大きく跳上ります。なにしろ、昭和32年製造の老體に鞭打つて動かしてゐるのですから。まうすぐ50歳。御疲れ樣です。

石岡14:27→(常磐線1398M)→14:48土浦

土浦駅14:55→(関東鉄道バス)→15:45筑波駅

筑波山のケーブルカーに乘る爲に筑波駅へ向ひます。かつて土浦から水戸線岩瀬までの関東鉄道筑波線があつたのですが、それが廢止になつた後、筑波駅をその儘バスターミナルとして使用し、これを「筑波駅」と稱してゐるのです。このバスは筑波線の代替と云ふことになるのですが、廢線跡は自轉車道になつてをり、かつて電車が走つてゐた所をバスが走る譯ではありません。

筑波駅15:50→(関東鉄道バス)→16:00筑波神社

筑波神社行バスの乘客は私1人。「今から山(=筑波山)へ行くの?」と訊かれて「はい」と應へると、首を傾げ乍ら前に向ふ運轉手氏。そして運轉席に着いてから、「もうケーブルカーは終はつてるんぢやないかなあ」。時刻表では16:40までとなつてゐたやうに思ふのですが。不安に思ひ乍ら筑波山の山道を揺られてゐました。

筑波神社バス停から筑波神社境内を急ぎます。ケーブルカーの乘場・宮脇驛は、その名の通り御宮の脇にあるのです。急な石段でハアハア言ひながら御宮の前まで行つてみると、「今日の運轉は16:20まで」との看板が。念の爲驛にも行つてみましたが、「行くことは出來ますけど、歸つて來れなくなりますよ」とのことでした。はあ、また出直して來ます。

とりあへず筑波山神社に御參りして、これだけで歸るのも何なので、御宮の下にある筑波山温泉にでも入らうかとしたのですが。1軒は「けふは團體客がゐるので、入浴は御斷りしてをります」、まう1軒は「入浴のみは3時までなんです」。まう歸ります。

筑波神社16:20→(関東鉄道バス)→16:30筑波駅

筑波駅16:35→(関東鉄道バス)→17:21岩瀬駅

當初の豫定では、16:40のケーブルカーで山を降りた後、來た道を戻つて土浦からJRで歸ることにしてゐました。が、筑波駅に着いてみると、土浦行よりも先に岩瀬行が出るらしい。と云ふことで、筑波線代替バスを全線乘つてみることにしました。岩瀬行バスの乘客はまたしても私1人。筑波線が廢止になつたのも判るやうな氣がします。

岩瀬→(水戸線)→小山

小山→(東北本線)→宇都宮

折角小山まで來たので、5驛隣の宇都宮で餃子でも食べて歸らうかと思つたのですが。驛間が長いので5驛と言つてもかなり距離があります。

宇都宮→(東北本線)→21:30(+10)浦和

車内放送で、東北本線内で人身事故があり、この列車も途中で運轉を中止するかも知れないと告げられました。それぢやあ小山で新幹線に乘替ようかなと思つてゐたのですが、いつの間にか寢てしまつたらしく、氣が附いた時には大宮でした。運轉打切はなかつたものの、10分遲れての到着でした。

浦和→(京浜東北線)→南浦和→(武蔵野線)→府中本町→(南武線)→南武線某驛