紀元節の起原


日本書紀による神武天皇即位の日・紀元前660年1月1日を新暦(グレゴリオ暦)に換算した2月11日を祝日と定めました。当初は1月29日でしたが、翌年から2月11日に変更されました。戦後、日本国憲法の精神にそぐわないとして廃止されましたが、昭和41年に「建国記念の日」として復活しました。

まう少し詳しく書きます。

当初は1月29日でしたがと云ふのは、1876(明治6)年の新暦1月29日が舊暦1月1日だつたからです。即ち、それまでと全く同じやうに紀元節を執行つてしまつた譯です。その前年の舊暦12月3日を以つてグレゴリオ暦に改暦したばかりでしたが、この紀元節の件によつて、「一應外國の暦を導入したけれど、これまでの暦のはうが本當の暦だ」と云ふ考へが流布してしまひました。そこで慌てて紀元前660年1月1日をグレゴリオ暦に換算し、翌年からは2月11日で實施することにしたのです。その邊の事情が下記のサイトに載つてゐます。

それから、紀元節の説明の中で「皇紀」(神武天皇紀元)について觸れ、現在ではほとんど使われていません。と書いてゐますが、實は我が國に於ける閏年は、皇紀によつて決めることになつてゐます。皇紀から六百六十を減じた値が四で割切れる場合は云々となつてゐて、西暦に基づく定義と全く同じではあるのですが、あくまでも「皇紀に基いて」決めることになつてゐます。



けふは出勤(しかも終電で歸宅)だつたので、「何故紀元節の話をしてゐるのだらう」等と考へてしまひました。こんなサイトを運營してゐながら、實は暦から縁遠い生活をしてゐるのかも知れません。