桐生14:35→(わたらせ渓谷鐵道729D)→16:15間藤

關東最後の一線はわたらせ渓谷鐵道。前々からかうしようと決めてゐました。わたらせ渓谷鐵道の前身は国鉄足尾線。宮脇俊三さんが国鉄全線乘潰し、即ち『時刻表2万キロ』の旅の最後としたのがこの足尾線でした。まあ、本當はもうすこし情緒のある線区にしたかつたやうですけど……。私はまづ關東を終はらせたかつたし、それに「時刻表2萬7千キロ」の旅の最後にしようとしてゐる驛は他にあります(まだ祕密にしますが、中國地方の某驛です)。それで、この「足尾線」を「關東の最後」にしようと云ふことになつたのです。
桐生驛の劵賣機で切符を買はうとすると、「わたらせ渓谷一日フリーきっぷ」なる貼紙が。1日乘り放題で1,800圓とのこと。桐生から間藤まで1,080圓ですので、往復するだけで元が取れます。と云ふことでこちらを購入。定期劵と同じ大きさですが、自動改札は通れません。
ホームに停つてゐるのは茶色の塗色が施された1輛編成の車輛。昔の列車を今でも使つてゐるのかと思ひましたが、よく見るとレールバスでした。一輛毎に名前を附けてゐるらしく、私が乘る車輛のヘッドマークには「くろび」と書かれてゐました。わたらせ渓谷鐵道のサイトに據れば、黒保根村の西部にある赤城山の最高峰の山。とのことです。
乘客は五六人と言つた所。ボックスシートが8組とロングシートがあります。前が見える席に坐らうとしたのですが、右にはトイレ、左には運轉席があり、前を見ることが出來ません。しやうがないので運轉席後ろのロングシートに腰を降します。前が見えないことを除けば、最後の一線に相應しい、のんびりした良い旅だなあ、と思つてゐたら、大間々驛のホームには澤山の人が。續々と乘り込んで來て席は全て埋つてしまひました。最後に、旅行會社の名札を附けた女性が乘つて來たので、どうやら團體旅行客に當つてしまつたやうです。しかも、その後から乘つて來た地元の若者連、席が埋つてゐるのを見ると、私の目の前の通路に坐り込んでしまひました。他の人がトイレ等の爲にそこを通らうとしてゐるのに、我關せずと云つた感じで携蔕電話で話をしてゐます。はつきり言つて氣分が惡い。觀光鐵道を目指してゐるのなら、まづかう云ふ連中を何とかしないと行けないのではないのか、等と、イライラしてゐるので無茶苦茶なことを考へてしまひます。
團體さんと例の若者連は神戸で下車。車内がまた靜かになりました。神戸を過ぎると長いトンネル。地圖に據れば、草木ダムに據るダム湖の脇をトンネルで通り拔けてゐるやうです。沢入を過ぎた後のトンネルの中で栃木縣に入り、これにて群馬縣完乘。
足尾觀光の據點である通洞の手前邊りから、鑛山の街の感じが出て來ます。平屋の鑛山住宅が建ち竝ぶ横で荒れ果てた廢工場。「東京の人間は一度夕張へ行くと良い。さびれた街を見ることは身の爲になる」と云ふ宮脇さんの言葉が思ひ出されます。手近に足尾でも良いのかもしれないと思つた矢先。そこには今でも開けた街があつたのでした。前言徹囘。小學校等の公共施設がやけに立派なのが目に附きますが、何か補助でも出てゐるのでせうか。通洞で觀光客風の2人が降り、殘つたのは地元の方と見える2人と、鐵が1人。足尾でさらに1人が降りました。
終點間藤に到着。これにて關東完乘です。間藤から先にも線路は續いてゐますが、線路の上に車止が置かれてゐて、先には行けないやうになつてゐます。驛名標等を撮影して、さつきまで搖られてゐた列車にまた乘り込みました。