許波多神社

けふは京都は宇治市の許波多神社へ參つて來ました。先日Wikipediaで項目を書いて少し氣になつてゐたのです。許波多神社は式内社名神大)なのですが、現在、宇治市には「許波多神社」が2つ(木幡・五ヶ庄)あり、どちらも式内社許波多神社を名乘つてゐるやうなのです。どちらも舊郷社かつ一般神社なので紙ベースの資料の入手が困難だし、ネットで調べてみてもよく判らん。近いし、これは行つてみるしかない*1

木幡の許波多神社

まづ木幡の許波多神社。手元の紙の地圖には乘つてなかつたので、ネットで調べた住所からネットの地圖で場所を確認して紙の地圖に轉記しました。便利な時代です。京阪木幡驛から東の方へ歩いて1つ目の角で北に曲がると、5分ほどで右手に鳥居が見えて來ます。社名標にはちやんと「式内・郷社」と書いてある。由諸書には、私がWikipediaで書いたやうなことが確かに書かれてゐます。參道の兩側は住宅地。參道が生活道路になつてます。神社の燈籠が一般の人の家の庭に立つてゐる。燈籠に書かれた社名は、許波多神社の舊名である「柳大明神」のほか、「田中大明神」「萱尾大明神」の名も。「田中大明神」については、明治時代に田中神社を合祀したと由諸書にあつたのですが、萱尾大明神とは? 社殿は流造*2。本殿・拜殿の前にもう一つ社殿があるが、これは何なのだらう。楼門にしては形が正方形だし、舞殿にしては床の高さがないし。色々訊きたいことはあつたのですが、社務所には人氣(ひとけ)がありませんでした。呼鈴を押せば出て來たのかも知れませんけど。手水舎は、ここ暫く使つてませんよと云ふ感じで水が枯れてました。
境内には「宇治陵 宮内庁」と書かれた柱と柵で圍まれた一劃があります。説明書きは全くなし。柵の中は木が周圍よりも一層多く生えてゐるだけで、「陵」と云ふ名前から想像されるやうな土の盛り上がりはありません。説明書きのやうなものがないかと一周してみましたが、裏に廻ると柵の中にゴミが。かう云ふ所にゴミを捨てるのもどうかと思ふし、それを掃除しないのもどうかと思ふのですが。なほ、この邊には「宇治陵」と謂ふ名の陵が多數點在してゐるやうです。

五ヶ庄の許波多神社

一旦京阪木幡驛へ戻つて、電車で1驛乘つて黄檗驛へ。黄檗と云へば黄檗萬福寺がすぐ近くにありまして、その所爲なのかどうか、同じ列車からは若い坊さん2人が降りてゐました。次は五ヶ庄の許波多神社。こちらは地圖にも載つてます。驛から歩いて10分程。こちらの社名標にも「式内・郷社」と書かれてます。由諸書を見て見ると……。げ、私がWikipediaに書いたことと全然違ふ。木幡の許波多神社の社傳とも違ふ。まづ創建。木幡は皇極天皇に夢で神から御告げがあつて……と云ふものなのですが、五ヶ庄は蘇我倉山田石川麻呂の奏上により孝徳天皇が造營を命じた、となつてます。ただ、どちらも造營をしたのは中臣鎌足としてゐます。舊稱の「柳大明神」の由來について、木幡は壬申の亂の際、大海人皇子が社頭に柳の枝を刺し祈願して云々とあるのですが、五ヶ庄は舊鎮座地の地名が柳山だつたからとしてゐます。どつちが正しいんだーと謎は深まつたのですが、戴いた紙の由諸書によれば、戰國時代の戰火で社殿や古記は失はれたとのこと。
社殿はどうもこちらの方が立派です。ちやんと管理されてゐるやうで、手水も滿々と水を湛えてますし。何故か猫が多い。どうも境内に捨てて行く人が多いやうで、「捨てるな」の貼紙があります。今、「捨てるな」とだけ書きましたが、もつと色々と書かれてまして、要點だけ書くと、物言はぬ動物のことも考へて下さい、と云ふことです。神職さんの人柄が忍ばれます。拜殿前の楼門内には木に出來た瘤が祀られてをり、これに祈つて體の惡い所を擦ると治るとのこと。ここにも貼り紙があり、「この宇宙に、○○に(ここ、何だつたか忘れました)、産んでくれた親に、そして今まで頑張つてくれた自分の體に感謝をしながら擦りませう」と書かれてます。
御朱印を戴かうと社務所の呼鈴を押すと、普段着姿の50〜60代くらゐの男性が出て來られました。この人が宮司さんなのでせうか。御朱印を戴いて御初穂300圓を納めたのですが、「宗教家は金儲けしてはいけないと思ふので、御返しします」と言つて、紙の由諸書きと共に、御初穂500圓のキーホルダー型の御守りを下さいました。そして、私の足下に猫が寄つて來たのを見て、こんな話を。「この猫、わがままなんですわ。親に育てられる前に捨てられて人に育てられたから。猫の子育ては嚴しいんですわ」(かなり要約)。うーん、ええ人やー。
なほ、五ヶ庄の許波多神社では日本初の競馬(くらべうま)の神事が行はれたり、日本最古の鐙(あぶみ)が殘つてゐたり、神像の一體が馬頭天王*3だつたりと云ふことで、競馬關係者や競馬ファンの信仰を集めてゐるやうです。社務所にも、「勝運御守」や、運の良い「數字」を占ふ神籤があります。

と云ふことで、Wikipediaの記述は誤りがあるので、早目に直さないといけません。今囘は大收獲でした。寫眞も澤山撮りました。

*1:愛知の大神神社も氣になつてるのですが、これはホイホイとは行けない

*2:で、良いのだらうか。神社建築はまだあまり詳しくない

*3:もう一體は辨財天。ネットで調査した時は、祭神が全て男神なのに何故女神像? と思つてゐたのですが、由諸書によれば附屬の寺で祀られてゐた神像とのこと。本殿には主祭神天忍穂耳命の神像があります