沖繩の神社巡り 1日目

と云ふ訣で沖縄にをります。
けふはゆいレールを完乘して、琉球國ー宮の波上宮に參拝して、首里城を見て來ました。明日帰る豫定ですが、もうー泊するかも。
この文章、W-ZERO3で書いてゐるのですが、手書き入力のため、所々略字になつてをります。
と、ここまで書いて投稿しようとして、誤つて終話ボタンを押して、書いたものを全部消してしまひました。なんでこんな押し易い場所にあるの。
さうさう熱は下がりましたが、前の日記を書いた日から下痢も起こしてまして、そちらはまだ續いてます。

(以下は歸つてから書いたもの。神道グループからの轉記)

波上宮

沖繩へ行つて來ました。目的は2つ。モノレール「ゆいレール」に乘ることと、琉球國新一宮の波上宮に參拜し御朱印を戴くことです。
那覇空港からゆいレールで旭町驛まで。ここが波上宮の最寄驛なのですが、ここから1kmほどの所にあります(徒歩約15分)。30度を超える氣温の中、汗をかきかきやうやく鳥居が見えて來ました。鄰には眞言宗の護國寺。江戸時代までは一體のものだつたやうです。波上宮琉球の古社「琉球八社」の一社ですが、それらの神社の鄰には、必ずと言つて良いほど眞言宗の寺院があり、これは琉球に日本の神道が傳はつた過程に關係してゐるやうです。
鳥居の先は石段、石段を昇ると社殿が見えますが、いかにも「沖繩」と云ふ感じの社殿です。樣式自體は日本(本土)式なのだと思ひますが、瓦が琉球の赤瓦なのでさう感じるのでせう。參拜しようとすると、拜殿の前に敷物を敷いて坐り込んで、何やら唱えてゐる女性が。何を唱えてゐるのかは聽き取れなかつたのですが、これが琉球の祭祀なのでせうか。その横で神社拜詞を唱える私。
御朱印を戴かうと社務所(これも赤瓦)へ向つたのですが、窗が閉ぢられてゐる(暑いからでせうか)。中に人はゐるやうなのですが。ちやうど外に出て來られた人がゐたので、その方に御朱印を御願ひました。待つてゐる間色々と見てゐたのですが、授與品の中に、本土でもよくある御守りや神札の他、見慣れない名前の「フー札」と云ふ札があります。厄除の札のやうです。同じ名前の札を他の神社でも見ましたので、琉球神道に根差した神札なのでせう。
御朱印を戴いてから、神社の下にある砂濱(波ノ上ビーチ)へ行つてみました。ここから見ると、波上宮は海に迫り出した崖の上に建つてゐることが判ります。正に「波の上」です。崖の下の方は波に浸蝕されて凹んでゐます。
砂濱から再度神社に戻ると、ガイドに連れられた英語を話す一行が神社の方へ向かふ所でした。さう云へば、私が神社に來た時には、支那語を話す一行が出て來る所でした。外國の方もよく來られるのでせうか。社務所の前には英文で神道について説明したパンフレットが數種類ありましたし、社務所の中には「神道用語日英對譯」なる册子もありました。
この後はゆいレールの殘りの區間に乘る爲に旭町驛に戻らないといけないのですが、暑いので餘り歩きたくない。バスくらゐあるだらうとウロウロしたのですが、最寄のバス停である「西武門」バス停から旭町驛へ直接行けるバスはないやうです。結局、來た道をまた歩いて戻つたのですが、タクシーに乘つてしまへば良かつた。

首里城

ゆいレールの終點の首里驛まで乘り潰して、沖繩へ來た目的は全て達成。後は全く豫定を立ててゐなかつたのですが、折角首里まで來たのなら首里城へ行つておかないといけないでせうと云ふことで。
首里城は、行政と云ふ「俗」の部分を行ふ場所、祭祀と云ふ「聖」の部分を行ふ場所、さらには國王が居住する私的な場所の3つに分けられます。現在公開されてゐる部分の大半は行政の爲の空間なのですが、その中で唯一、正殿の2階は「聖」の爲の空間となつてゐます。
(と思つてゐたのですが、祭祀の爲の空間も公開されてゐました。歸つてから氣が附いた。私が行つてゐなかつたのでした。)

首里城の入口の前に御嶽(うたき)の石門があり、首里城と共に世界遺産に指定されてゐます。「石門」となつてゐるのですが、實はこの門が神社で云ふ拜殿に當たるとのこと。本殿に相當する物は無く、森となつてゐる一帶がそれに當たるとのことです。正式な參拜の方法は知らないのですが、石門の前で手を合はせました。