沖繩の神社巡り 2日目

沖宮

9時頃にホテルを出て、ゆいレールの驛まで歩いたのですが、ポツポツと水滴が顏に當たるなと思つたら雨でした。次第に強くなつて來て、驛に著いた時には本降り。しかし、列車が來る前に雨は止みました。
壺川驛で下車し、奧武山公園へ。この中に沖繩縣護國神社と世持神社という2つの神社があるのを地圖で見附けてゐました。公園に入つて動物的勘で南の方へ歩いて行くと、公園の南側にも神社がありました。小さな鳥居とその奧に階段があるので何だらうと昇つてみると、瀧の前に「弁財天社」と書かれた祠と、何も書かれてゐない祠2社がありました。ふと横を見ると、あれはどう見ても觀音像。何やら線香の匂ひもするし。ここは神佛習合の何かなのだらうかと階段を降りてもう少し先に進むと、そこには大きな鳥居が。琉球八社の一つ、沖宮でした。先ほどの3社は沖宮の末社のやうです。
沖宮の前には觀光バスが乘り附けてゐて、ちやうど團體の方が參拜されてゐる所でした。が、神前で唱えてゐるのは、どう聽いても般若心經。しかも僧侶までゐます。で、般若心經を唱えた後は二禮二拍一禮。やはりここは神佛習合なのでせうか。
參拜の後、御朱印を戴かうとしたのですが、拜殿横の授與所は無人。拜殿の下(斜面に建つてゐるので、かう云ふことになる)が社務所になつてゐるので、そちらで聲をかけて御朱印を御願ひしました。が、その方、どこかに電話をして「御朱印どこだつけ?」とか訊いてをられる。おーい。で、私の御朱印帖を床に落として、蛇腹がバラバラと廣がつてるし。おーい。まあ、御朱印を押すと云ふことはあまりないので、慌ててをられたのかも知れない。

沖繩縣護國神社

沖繩縣護國神社は奧武山公園のほぼ中心にあります。壺川驛からは、公園に入つて左ではなく右に曲がつた方が良かつたやうです。まあ、沖宮を見附けられたから良いのですけど。
今まで參拜した二社と違つて内地の神社つぽい氛圍氣ですが、參道の兩側に立つ椰子の木(で良いのだらうか。南国風の背の高い木)が、ここが沖繩の神社であることを示してゐました。護國神社と云ふと、國難に殉じた護國の英靈を祀る神社で、祀られてゐる祭神の多くは、その縣出身の軍人・兵士なのですが、ここ沖繩縣護國神社では、沖繩本土戰に殉じた本土出身者や、一般市民、遭難学童、文官關係者も祀られてゐます。
社務所の前では、おそらく學生さんと引率の先生と思はれる方が神職さんと話をされてゐました。御朱印を待つてゐる間に、それとなしに耳に入つた所によれば、どうも三重縣の某神職養成機關(つて1つしかないけど)の方々のやうです。

世持神社

奧武山神社内にあるもう1社は「世持神社」です。沖繩縣護國神社の近くにあります。鳥居のある正面から入るには沖繩縣護國神社の前にある池を廻り込まないといけないのですが、どうも、沖繩縣護國神社から直接行ける道があるやうです。
社務所がなく、神職さんが常駐してゐない神社のやうですが、ちやうど今、神職さんが祭祀をされた後だつたやうで、線香の匂ひがしてゐました。ん? 線香? ここも神佛習合です。參道の眞正面には神社の拜殿があるのですが、拜殿に接した同じ屋根の下に、佛像が安置された部屋があります。拜殿の横で「沖宮」と染められたタオルが干してあつたのですが、ここは沖宮が管理してゐるのでせうか。賽錢箱が置かれてゐないのですが、その邊はどうすれば良いのだらう。
明治以降に建てられた神社で、沖縄産業の恩人として、蔡温・野國総管(支那から沖繩に唐芋(薩摩芋)を持ち込んだ)、儀間真常(その唐芋を沖繩中に廣めた)の三人を祀つてゐるとのこと。しかし、「世持神社」と云ふと、昨日參拜した波上宮の境内にも「世持神社 仮殿」なる建物があるのですが、こことの關係はあるのでせうか。謎。

普天間

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