夏越の祓

夏越の祓に行つて來ました。行つたのは、はてなアンテナにブログを入れてゐる枚方市片埜神社さん。實は今迄も何度か參つてゐまして、春祭にも拜殿の外から參列致しました*1
夏越の祓の式次第はどこの神社でも殆ど同じだとは思ひますが、それでも微妙に違ふやうですので、書いておきます。手水で手と口を清めて拜殿に上がると、大祓詞が印刷された紙と切麻(きりぬさ。簡単に言へば紙吹雪)が渡されます。ドオンドオンと太鼓が鳴らされ、宮司一拜の後に全員で大祓詞を奏上。唱へ方は一音づつ讀む方法で少し速めでした(「たーかーまーのーはーらーにー」と云ふ感じ)。私のいつもの唱へ方は二音づつ(「たかーまのーはらーにーー」と云ふ感じ)なのですが、まあ、すぐに慣れます。大祓詞奏上の前後には宮司のみが別の祝詞を唱へてをられました。内容は聽き取れなかつたのですが、後の方の祝詞は、本來は人形(ひとがた)は川に流すのですが今の世の中さう云ふことも出來ないので「川に流しましたよ」と云ふ祝詞を唱へた、と後で宮司さんが説明をされてゐました。次に、神職が切麻を拜殿の四方に撒き、桃の枝を振つて空間を清めました。その後、各自が切麻を自身の体にかけて自祓し、全員が玉串を奉奠して神事は終了となりました。
神事終了後、宮司さんの講話がありました。片埜神社の横の牧野公園には、平安時代蝦夷(えみし)の族長・アテルイとモレの首塚と傳へられる塚がありまして、枚方市が塚の横にその石碑を作ると云ふことになつたさうです。石碑を作るための事務局が片埜神社に置かれたとのことで、アテルイとモレと坂上田村麻呂の話、何故枚方首塚があるのかの話など、大變興味深い話でした。
最後はお下がりを戴いて歸りました。お下がりの中身は大祓の御札、厄除の小さな茅の輪、昆布、烏賊(と云ふか烏賊の燻製。酒の肴にするあれ)でした。

*1:氏神さんには2度程しか行つてゐないくせに……