尾張の神社巡り
只今岐阜。けふは尾張の神社を巡りました。
元々は、今月末で廃止される桃花台新交通(ピーチライナー)の乗り納めをするつもりだつたのですが、それだつたら一宮を始めとして神社をいくつか巡らうといふことになりまして、結果的にはピーチライナーのはうがついでになつてしまひました。
(以下、書いてゐるのは10月2日。東北旅行、まだ書き終はつてないのに。は、沖繩もまだだ)
眞清田神社
(執筆準備中)
大神神社
次は大神神社(おほみわじんじや)。奈良縣の大和國一宮と同じ名前で、實際社傳でも、大和國の三輪族がここに移り住み、大和國一宮の大神神社を勸請したと傳はつてゐます。鎮座地の地名も「大和町」です。
聽いた所では、大神神社は普段は無人らしい。御朱印を戴くには宮司さんがをられる別の神社へ行かないといけないらしい。こんな一宮は初めてです。どうなるか判らんがとりあへず行つてみよう。『諸国一の宮』には尾張一宮驛から徒歩20分とある。隣の妙興寺驛からの方が近いやうな氣もするのですが、尾張一宮驛から歩き出すことにしました。で、20分くらゐで到着。暑い。
大神神社は本當に無人でした。立派な社務所はあるのですが、祭の時にしか使はれないのでせう。社務所の入口に廣告が挟まつたまま。けふは職員さんは來られてゐないらしい。鳥居と社殿は一直線上になくて、參道はクランク状に曲つてゐるのですが、拜殿の正面、曲つた參道よりも手前側に塀が立つてゐます。眞清田神社内の稻荷神社にも同様のものがありました。尾張地方に特有のものらしいです。
參拜して、冩眞を撮つてから、『諸国一の宮』に書かれてゐる大神神社の連絡先に電話をしました。電話先は、何やら不氣嫌さうな聲。多分宮司さん。
富山「あの。大神神社の御朱印を戴きたいのですけど」
宮司「今どこにゐます?」
富山「大神神社の境内にゐます」
宮司「ぢやあ、建物に地圖が書いてあるから、ここまで來て下さい。書きますので」
拜殿の扉には、宮司さんがをられる大神社(おほじんじや)への道筋が書かれてゐます。ここから自動車で7分、とある。と云ふことは、徒歩だと70分? んな筈はない。ともかく歩かう。神社の前を横切る道を眞つ直に進み、名鐵の線路の手前で右折(南方向)。あとは道なりに進んで行けば着くやうです。右折してすぐの所に妙興寺驛がありました。やはり大神神社へは妙興寺驛から行つた方が良かつたやうです。ただし、ちらりと時刻表を見ましたが、停車本數は少いやう。
延々と歩き續けてゐるのですが、全然着く氣配がない。30分ほど歩いた所で、「於保」と云ふ交叉點に出ました。大神社の所在地名で、大神社から名前が取られたものと思はれますが、讀み方は「オオ」ではなく「オホ」です。近くにそれらしき森も見えます。神社をいくつも廻つてゐて判つたこと。「神社を捜すならまづ森を捜せ」。さう、鎮守の森です。鎮守の森はそれなりの大きさがあつて、かつ、遠くからでも見えるので、目印になるのです。ま、外れだつたこともありますけど。その森はやはり大神社の森でした。
大神社は長い眞直な參道を持つてゐますが、やはり社殿の前には屏がありました。參拜をしてからいざ御朱印。社務所は無人なのですが、ふと見ると、「宮司宅 →」と書かれた板が貼つてある。一宮廻りの人がそれだけ多いのでせう。宮司さんの御宅に入ると、飼つてゐる犬に吠へ立てられました。その鳴聲で氣が附かれたのか、宮司さんはすぐに出て來られました。玄關先で御朱印を戴いたのですが、その時の話を纏めると、
- 一宮の中には尾張の大神神社のやうな無人の神社が18社ほどある」
- 無人の神社に參拜して御朱印を戴くには、(今囘のやうにいきなり行くのではなく)事前に電話をして、何日の何時に行けば良いか問合はせた方が良い。
- 特に9月・10月は祭の時期で、うち(大神社の宮司さん)は十數社兼務してゐるから、10月に來られたら應對出來ない。けふも何件か斷つてゐる。
- どこの一宮が無人かについては、大阪の坐摩神社の宮司さんが一宮御朱印帖などを配つてをられるので、知つてゐる筈。
とのことでした。ちよつと御迷惑だつたのかも知れません。済みません。でも、電話の印象とは違つてにこやかな應對でした。
あとは本來の目的のピーチライナーに乘れば終りなのですが、まだ日は高い。ピーチライナーは日が沈むまでに乘れれば良いので(おい)、神社か何か見てから行くことにします。一宮からピーチライナーのある小牧へ行くには犬山か名古屋を經由する必要があると云ふことで、とりあへず名鐵の驛を目指すことにしました。地圖を見ると島氏永驛が近いやうなのですが、私が持つてゐる地圖には大神社が載つてゐないので、私が今地圖上のどこにゐるのかが判らない。勘だけで歩き出したら見事に迷い、神社からまた30分かかつて島氏永驛に着きました。歸つてから大神社も載つてゐる地圖を見たのですが、大神社の眞東に島氏永驛があつたのでした。私は南東方向なのだらうと思つて、先ほど延々と歩いた道をさらに南へ歩き出したのですが。